― いま、わたしが在る場所 ―
最近、なにかが静かだ。
何かを達成したわけでもない。
特別な出来事があったわけでもない。
でも、確実に違う。
焦りがない。
不足感もない。
どこか満ちている。
それは高揚感ではない。
興奮でもない。
むしろ、とても静かだ。
🧠 わたしは何を手放したのだろう
以前のわたしは、常にどこか動いていた。
もっと良くなりたい。
もっと高みに行きたい。
もっと証明したい。
向上心と呼べば聞こえはいい。
でもその奥には、
「まだ足りない」という前提があった。
今は違う。
足りない感じが、ない。
だからといって、止まっているわけでもない。
不思議だ。
🌫 透明とは、消えることではなかった
透明というと、
存在感が薄いことのように思っていた。
でも実際は逆だった。
自分を強く押し出さなくなると、
世界がくっきり見える。
人の感情も、
場の空気も、
流れも。
わたしが主張を弱めた分だけ、
世界が浮き上がってくる。
光とは何かと考えていた。
もしかすると光とは、
存在を照らし、浮き立たせるもの。
透明感とは、
その光を通す状態なのかもしれない。
⚙ 静かなモーター
外から見ると、
わたしは穏やかに見えると思う。
でも内側では確実に回っている。
以前はエンジンのようだった。
音も熱もあった。
いまは電動モーターのようだ。
静かで、
滑らかで、
でも確実に力強い。
焦って追い越した車が、
信号で結局並ぶように。
急がなくても、
流れに乗っていれば辿り着く。
それが身体感覚としてわかってきた。
🫧 満ち足りた透明感
この状態を言葉にするなら、
満ち足りた透明感。
何かを足す必要がない。
何かを引く必要もない。
ただ、在る。
わたしがわたしを操作しようとしないとき、
世界もまた、わたしを急かさない。
現実が優しくなってきたのは、
わたしが優しくなったからかもしれない。
🌌 わたしはわたしの実験体
最近思う。
人生は実験なのかもしれない。
わたしがどう変化するのか。
わたしがどう在ると世界がどう変わるのか。
でももう、
無理に変えようとはしていない。
観察者であり、体験者でもある。
透明で、
満ちている。
そしていまは、それでいい。


