水脈茶屋の昼食
水脈茶屋へ近づくにつれて、二人の足は自然に速くなっていた。
さっきまで腕に残っていたじょうろの重さも、脚の疲れも、もうほとんど気にならない。
先に届いたのは、茶屋の姿ではなかった。
匂いだった。
焼きたてのパン。
煮込まれた野菜の甘さ。
その奥に、タイムとローリエの青く静かな香りが混じっている。
林を抜けてきた風が、その匂いを少しずつ運んでいた。
結菜が足を止めずに言った。
「これ、今日のスープだ」
「まだ見えてないけど」
「分かる」
「何が入ってるかも?」
「全部は無理。でも、タイムはいる」
結菜は鼻を少し上げ、真剣な顔で空気を吸い込んだ。
「あと、玉ねぎ。たぶん根菜も」
「犬みたい」
「シェフ志望です」
茶屋の屋根が木々の間から見えてくる。
草と小さな花に覆われた低い屋根の下で、いくつものテーブルが水路に沿って並んでいた。
開けた場所には日差しが落ちているが、二人の席は木陰と光の境目に用意されていた。
ウェアラブルが同時に震える。
昼食席、準備完了。
水脈茶屋・東側七番テーブル。
二名。
活動参加者用ランチ。
結菜が表示を見た。
「七番」
「見えてる」
「予約されてるって、いい言葉だね」
「昨日から決まってたでしょ」
「今見ると、もっといい」
七番テーブルには、小さな札が置かれていた。
青木澪。
小暮結菜。
その横には、じょうろと葉の印が描かれている。

単に空いている席へ座るのではなく、今日ここで働いた二人のために用意された場所だった。
小川がすぐそばを流れ、香草区画の一部も見える。
二人が水をやった東列は、木々の向こうに少しだけ覗いていた。
「ここ、いい席」
澪が言った。
「スープの動線も短い」
「そこ?」
「冷めない」
結菜はバッグを椅子の横へ置き、勢いよく座った。
澪も向かいの席へ腰を下ろす。
身体の力を抜いた瞬間、自分が思っていた以上に疲れていたことが分かった。
けれど、その疲れを意識したのはほんの一瞬だった。
厨房側の扉が開き、温かな湯気が流れてくる。
さっきまでよりも濃い香りが、二人のところへ届いた。
結菜のお腹が、小さく鳴った。
澪は顔を上げた。
結菜は何もなかったように小川を見ている。
「今の」
「水の音」
「違うよ」
「木が鳴った」
「お腹でしょ」
「自然はいろんな音を出します」
澪が笑った、その直後。
今度は自分のお腹が鳴った。
結菜がゆっくりこちらを向く。
「自然?」
澪は少しだけ視線をそらした。
「……水路かも」
「同じ音だったよ」
「二人とも働いたから」
「そうだね」
結菜は勝ち誇るでもなく、素直に頷いた。
もう互いをからかう余裕もなくなるほど、二人とも空腹だった。
席へ着いたことで、むしろお腹の空き方がはっきりした。
パンの匂い。
スープの湯気。
木の皿が重なる音。
厨房から聞こえる人の声。
まだ料理は運ばれてきていない。
それでも、二人の昼食はもう、匂いから始まっていた。


