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TEMPLE CODE CHRONICLE 覚醒編 09|一枚しかないもの

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一枚しかないもの

厨房側の扉が開いた。

白いエプロンを着けた若い女性が、二つのトレイを慎重に運んでくる。

年齢は二十歳前後だろうか。髪を布でまとめ、胸元には水脈茶屋の葉の印と、その下に小さく「研修中」と表示されていた。

二つのトレイには、それぞれ深い陶器の器が載り、温かな湯気を立てていた。

丸いパン。

色の濃い葉野菜のサラダ。

小さな器に入った豆のペースト。

そして、根菜とハーブを煮込んだスープ。

近づいてくるにつれて、香りが一段濃くなった。

結菜の背筋が伸びる。

「お待たせしました。水やり参加者ランチです」

見習いの女性は、まず澪の前へ一つのトレイを置き、次に結菜の前へもう一つを置いた。

「今日のスープは、玉ねぎ、白いんげん豆、根セロリ、それから今朝摘んだタイムとローリエを使っています」

結菜の目が輝いた。

「やっぱりタイム」

女性が少し驚いたように結菜を見る。

「匂いで分かったんですか?」

「たぶん。でも、ローリエは分かりませんでした」

「ローリエは前へ出る香りじゃないですからね。食べ終わるころに、いなくなったら困る味だって分かる感じです」

結菜は、その言葉を覚えておこうとするように小さく頷いた。

「ここで料理を学んでいるんですか?」

「はい。まだ二年目です」

胸元の表示を見ていたことに気づいたらしく、女性が笑った。

「今日はスープの仕上げと給仕を担当しています。午後の厨房見学にも来るんですよね?」

「行きます」

結菜の返事は、水やりの作業説明を受けたときより早かった。

「ブーケガルニを教えてもらう予定です」

「マルセルさんから聞いています。たぶん、たくさん質問されるだろうから覚悟しておくようにって」

「そんなにしません」

澪は結菜を見た。

「すると思う」

「必要なことだけ」

「結菜の必要なこと、多いから」

見習いの女性は笑いを堪えながら、エプロンのポケットへ手を入れた。

「あ、それから」

小さな封筒を取り出した。

施設内で再生された植物繊維紙らしく、表面には細かな葉の模様が浮かんでいた。

電子表示も識別印もない。

表側に、青いインクで二人の名前が書かれている。

澪さん、結菜さんへ

整った文字ではあったが、一文字ずつ微妙に大きさが違う。

印刷ではなかった。

「受付のマリさんから、お二人へ手書きのメッセージを預かっています」

「手書き?」

結菜が封筒を受け取った。

「珍しい」

「マリさん、ときどき書くんです。今日は二人とも朝から楽しそうだったから、って」

見習いの女性はトレイの配置を最後に確認した。

「それでは、ごゆっくり。スープは熱いうちにどうぞ」

「ありがとうございます」

二人が声をそろえると、女性は小さく頭を下げ、次のテーブルへ向かっていった。

結菜は封筒を光へ透かした。

「何が書いてあると思う?」

「ランチは一杯まで、とか」

「そんな悲しいことを手書きで伝えないでしょ」

封を閉じているのは糊ではなく、細い草色の紐だった。

結菜が紐をほどき、中から二つ折りのカードを取り出す。

カードには、青と緑のインクが混じった文字で、こう書かれていた。

Good work, Mio and Yuuna.

今日の水も、今日の汗も、今日の風も、
きっと同じものは二度とありません。

よく働いた二人へ。
スープもパンも、遠慮せず楽しんでください。

追伸:おかわりは一杯まで。

Mari

二人は最後の一行を見たまま、しばらく黙った。

結菜が先に口を開く。

「一杯までなら、できる」

「おかわりする前提なんだ」

「マリさんが、遠慮せずって書いてる」

「でも一杯までとも書いてる」

「両方守れる」

澪はカードをもう一度見た。

今日の水。

今日の汗。

今日の風。

さっき林の中で受けた風を思い出す。

ウェアラブルなら、一瞬で届く内容だった。

それでもマリは、紙を選び、ペンを持ち、二人の名前を書いた。

文字の一つひとつには、書いた手の動きが残っている。

少し右へ傾いた「澪」。

最後だけ大きくなった「結菜」。

澪はカードの端を指でそっとなぞった。

「これ、持って帰っていいよね」

「もちろん。交代で持つ?」

「写真を撮れば二人とも持てるよ」

「それだと、手書きの方は一つしかない」

結菜の言葉に、澪は少し考えた。

同じ情報なら複製できる。

けれど、マリが実際に触れたこの紙は、一枚しかない。

「じゃあ今日は私が持って、次に来たとき結菜に渡す」

「その次は澪?」

「うん」

「カードも循環するんだ」

結菜は満足そうに頷いた。

カードをテーブルの中央へ置く。

二人の間で、青と緑の文字が昼の光を受けていた。

その向こうでは、スープの湯気がまだ立ち上っている。

「冷める」

澪が言った。

結菜が慌ててスプーンを取る。

「危ない。手紙に気を取られてた」

「シェフ志望なのに」

「料理は、食べる前の時間も含めて料理です」

「また今作った?」

「Half right」

二人は顔を見合わせた。

それから、ほとんど同時にスープへ顔を近づけた。

温かな湯気の奥から、タイムと野菜の香りが立ち上った。

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