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TEMPLE CODE CHRONICLE 覚醒編 13|帰りのシャトル

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目次

帰りのシャトル

グリーンオアシスを出るころには、二人ともほとんど口をきかなくなっていた。

水やりで使った腕は重く、料理区画を歩き回った脚には、遅れて疲れが集まっている。

昼食で一度は消えたはずの眠気も、シャトル乗降場へ向かう途中から身体の奥へ戻り始めていた。

それなのに、澪の目は冴えていた。

隣を歩く結菜も同じだった。

肩は落ち、歩幅も朝より小さい。

けれど、何かを見落とすまいとするように、ときどき水路や木々の間へ視線を走らせている。

「疲れたね」

澪が言った。

「すごく」

「眠い?」

「身体は眠い」

「頭は?」

「ギラギラしてる」

結菜は両目を指で大きく開いてみせた。

「たぶん今、すごく変な顔してる」

「いつもとあまり変わらない」

「それは失礼」

言い返す声にも、普段ほどの勢いはなかった。

けれど二人とも、笑ったあとすぐに水路の方を見た。

白い髪の少女は、もうどこにもいない。

ロッシュは次回の中央記憶への同期に備えた記録確認を終え、乗降場の手前まで二人を送ってくれた。

『本日の活動、お疲れさまでした』

「ロッシュも」

澪が答える。

『ご自宅で記録を閲覧する場合、本人確認の後、保護者への共有を選択できます』

「分かった」

『青木奏人さんへ、すでに初期設計記録との関連通知が送信されています』

澪の足が止まった。

「お父さんに?」

『内容そのものではなく、関連記録の参照申請が発生したことのみです』

「じゃあ、何かあったって気づいてるかも」

結菜が言った。

『その可能性はあります』

ロッシュの胸の光が、静かに揺れた。

『お気をつけてお帰りください、澪さん、結菜さん』

「またね、ロッシュ」

結菜が手を振った。

澪も小さく手を上げる。

「次は、すぐ捕まってね」

『状況によります』

「正直」

『路守ですので』

ロッシュはそう答え、別の来訪者へ呼ばれて乗降場の奥へ戻っていった。

シャトルは、二人が到着する少し前から停車していた。

乗車確認は、近づいた時点ですでに済んでいる。

入口で立ち止まる必要もなく、二人のウェアラブルには並びの座席が表示された。

後方右側。

窓際が澪。

通路側が結菜。

朝とほとんど同じ席だった。

二人が座ると、座面が身体の形に合わせてわずかに沈んだ。

その瞬間、結菜が背もたれへ全身を預けた。

「もう動けない」

「家まで歩くよ」

「未来の私が歩く」

「その未来、二十分後くらいだけど」

「近い未来は信用できる」

シャトルが静かに動き出す。

窓の外で、グリーンオアシスの高木がゆっくり後ろへ流れていった。

水路。

木陰の散歩道。

緑に覆われた茶屋の屋根。

香草区画の低い柵。

遠ざかる景色の中に、今日過ごした場所が一つずつ見える。

澪は額を窓へ近づけた。

冷えた透明板が、熱の残る肌に心地よかった。

ガラスには自分の顔が薄く映っている。

疲れている。

髪は少し乱れ、頬には昼の熱が残っている。

それでも目だけが、いつもより明るかった。

窓の反射の中に、結菜の顔も重なっている。

結菜は目を閉じていた。

「寝た?」

澪が聞く。

「寝てない」

返事はすぐに来た。

「目、閉じてるけど」

「身体だけ休ませてる」

「頭は?」

「まだギラギラ」

結菜は目を閉じたまま言った。

「白い髪だった」

澪は窓から顔を離した。

「うん」

「肩くらいまであったよね」

「もう少し長かったかも」

「顔は見えなかった」

「水が揺れてたから」

「でも、笑った気がした」

澪は答えなかった。

自分にも、そう見えた。

水面の少女は、澪が名前を呼んだとき、確かに顔を上げた。

そして、笑った。

そう思う。

けれど、記録に残ったのは光学変化と、二人の発話だけだ。

笑顔までは、どこにも保存されていない。

「お父さんに、どう話す?」

結菜が目を開けた。

「最初から」

「どこから?」

「朝?」

「そこからだと長いよ」

「じゃあ、スープから」

「もっと変になる」

結菜は指を折りながら、順番を考え始めた。

「まず、澪がセフィリアって思い出した」

「うん」

「それからロッシュに十年前の記録を見せてもらった」

「うん」

「三歳の澪も、セフィリアって言ってた」

「うん」

「そのあと、水に白い女の子が出た」

二人は黙った。

順番に並べただけなのに、改めて聞くと、現実の出来事とは思えなかった。

結菜が少し声を落とす。

「やっぱり、私も一緒に言った方がいいね」

「うん」

澪はすぐに答えた。

一人で説明できないからではない。

結菜も見たのだ。

同じ場所で、同じ瞬間に。

澪だけの記憶へ戻してはいけない。

「私が先に話す」

澪が言った。

「うん」

「うまく説明できなかったら、結菜が言って」

「任せて」

「料理の話から始めないでね」

「分かってる」

少し間を置いて、結菜が付け足す。

「でも、スープを飲んだ瞬間に思い出したのは大事じゃない?」

「大事だけど」

「味と記憶はつながってるし」

「お父さんに最初からそこを説明すると、話が長くなる」

「じゃあ後半」

「証言に後半とかあるの?」

「構成は大事です」

結菜は少し元気を取り戻したように座り直した。

けれど、その直後に小さなあくびをした。

「眠いんじゃん」

「これは酸素の調整」

「何それ」

「身体の判断です」

「生き物としての見解?」

「そう」

シャトルは林を抜け、住宅区へ入った。

窓の外の色が変わる。

深い緑が少なくなり、代わりに低い建物の壁や、屋根の上の発電膜、道路沿いの植栽が流れていく。

朝に乗ったときと同じ街だった。

パン店の前には午後の商品が並び、広場では子どもたちが水遊びをしている。

小型配送機が軒先へ荷物を置き、犬を連れた老人がゆっくり歩いている。

いつもの日曜日だった。

誰も、水面に白い少女が現れたことなど知らない。

その普通さが、澪には少し不思議だった。

世界の何かが大きく動いたように感じているのに、街は何も変わらず続いている。

澪のウェアラブルが震えた。

奏人からだった。

帰りのシャトルは確認した。

結菜さんも一緒か?

澪は短く返した。

一緒。

家で話したいことがある。

少しして返信が来る。

分かった。

冷たいお茶を用意しておく。

結菜が横から画面を見た。

「奏人さん、普通だね」

「通知だけじゃ内容は分からないから」

「でも、ロッシュの設計記録が開かれたのは知ってるんでしょ?」

「たぶん」

「冷たいお茶を用意しながら、ギラギラしてるかも」

澪は父の顔を想像した。

普段と同じように茶葉を選び、氷の量を調整している。

けれど頭の中では、十年前の記録を思い出しているのかもしれない。

意味が分からないものを、急いで消す必要はない。

父は、そう書いていた。

「お父さん、何か知ってると思う?」

結菜が尋ねた。

「分からない」

「ロッシュの言葉を作ったんだよね」

「一部だけ」

「IDA(イデア)も同じ言い方するんでしょ?」

「うん」

分類保留。

意味づけには、まだ早い。

朝までただの古い言い回しだと思っていた言葉が、今は一本の線になっている。

ロッシュから奏人へ。

奏人からイデアへ。

そして、十年前のセフィリアへ。

シャトルが減速を始めた。

二人の停留所が近づいている。

結菜は座席から身体を起こしたが、一度では立ち上がれなかった。

「あれ」

「脚、動かない?」

「未来の私がまだ来てない」

「もう降りるよ」

「迎えに行ってくる」

結菜は両手で膝を押し、ようやく立ち上がった。

澪も立つ。

太ももに重さが溜まっていた。

身体は正直だった。

水を運び、長い距離を歩き、興奮したまま一日を過ごした疲れが、帰宅を前に一気に現れている。

それでも二人の目は冴えたままだった。

停留所へ降りると、午後の空気が身体を包んだ。

朝より温かい。

けれど日差しは少し傾き、家々の影が道路へ長く伸び始めている。

シャトルが走り去る。

静かになった住宅街に、遠くの鳥の声と、庭木へ水を撒く音が聞こえた。

澪の家までは、歩いて数分だった。

その先の角を曲がれば、結菜の家がある。

普段なら澪の家の前で、

「また明日」

と言って別れる。

けれど今日は、二人ともその言葉を準備していなかった。

歩き始める。

足が重い。

結菜のバッグの中では、マルセルにもらった香草カードが、ときどき布に擦れて小さな音を立てていた。

澪のバッグには、マリの手書きのカードと、描きかけの結菜のスケッチが入っている。

今日の水。

今日の汗。

今日の風。

そして、十年前から戻ってきた名前。

全部を抱えて歩いているようだった。

澪の家が見えてきた。

低い庭木。

玄関まで続く短い石畳。

リビングの窓には、午後の光が映っている。

中に奏人の姿は見えなかった。

結菜の歩幅が、少しだけ小さくなる。

「緊張してきた」

「今さら?」

「奏人さんに、白い女の子を見ましたって言うんだよ」

「見たんだから仕方ない」

「信じてもらえるかな」

澪は玄関を見たまま答えた。

「ロッシュの記録がある」

「でも、私が見たところは記録に顔まで残ってない」

「私も見た」

結菜は澪を見た。

「そうだね」

「二人で見た」

「うん」

家の前へ着く。

いつもなら結菜は、ここでそのまま先へ進む。

今日は止まった。

澪も門の前で足を止める。

疲労で身体は重い。

今すぐ靴を脱ぎ、冷たい床へ寝転びたいほどだった。

けれど、玄関の向こうに父がいると思うと、胸の奥だけが熱くなる。

澪は結菜を振り返った。

「少し、寄っていける?」

結菜は最初から答えを決めていたように頷いた。

「うん」

「家には連絡した?」

「さっき送った。澪の家で重大な証言をしてから帰るって」

「重大な証言って書いたの?」

「母にはその方が伝わるから」

「余計に心配するよ」

「夕飯までには帰るとも書いた」

「そっちが先でしょ」

結菜は少し笑った。

それから、いつもより真面目な声で言った。

「私もちゃんと言うよ」

「うん」

「水の上に、白い髪の女の子がいたって」

澪は門を開けた。

二人で短い石畳を歩く。

あと数歩で玄関だった。

奏人へ話す。

ロッシュの記録。

セフィリアの名前。

十年前の光。

今日、二人が見た少女。

そして、父がなぜロッシュと同じ言葉をイデアへ残したのか。

澪は玄関の前で、もう一度深く息を吸った。

結菜が隣に並ぶ。

疲れ切った二人の肩が、ほんの少し触れた。

身体は今にも眠りそうなのに、目だけは暗い水の底を照らすように冴えている。

澪は認証面へ手を伸ばした。

その直前、玄関の向こうで、奏人の足音がした。

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