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TEMPLE CODE CHRONICLE 覚醒編 23|ママのいる場所へ

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目次

ママのいる場所へ

土曜日の朝、澪がリビングへ下りると、奏人はもう朝食を並べ終えていた。

焼いたパン。
薄く切ったトマトと白いチーズ。
卵と野菜の入った温かいスープ。

窓は少しだけ開けられ、庭から湿った土と葉の匂いが入ってくる。

昨日までと変わらない朝だった。

ただ、澪の席の横に、見慣れない薄い封筒が置かれていた。

白い表面には何も書かれていない。

「おはよう」

奏人が言った。

「おはよう」

澪は席へ座り、封筒を見る。

「これ、何?」

「先に食べろ」

「食べたら教えるの?」

「そのつもりだ」

奏人は自分のカップへ飲み物を注いだ。

いつもと同じ顔をしている。

澪はパンを一つ取り、指で千切った。

表面は少し硬く、中にはまだ温かさが残っている。

スープからは、タイムと炒めた玉ねぎの匂いがした。

「パパ」

「何だ」

「仕事の端末、もう隠さなくていいの?」

奏人の手が止まった。

「隠してない」

「旅券管理局の印がついてた」

「よく見てるな」

「絵のケースも買った」

「仕事用だ」

「私の服の大きさも調べてた」

奏人はカップを置いた。

「見たのか?」

「閉じるのが遅かった」

「そうか」

奏人は否定しなかった。

澪はパンを一口食べる。

奏人の方から話すまで待つつもりだった。

けれど、いつもの朝食より噛む回数が増えている気がする。

スープを一口飲む。

温かさが喉を通り、胃の近くへ落ちていった。

「もういいか?」

奏人が尋ねた。

「まだパンがある」

「全部食べ終わる必要はない」

「先に食べろって言ったの、パパでしょ」

奏人は小さく息を吐いた。

澪はもう一口食べてから、封筒へ手を伸ばした。

「開けていい?」

「ああ」

封筒は見た目より少し厚かった。

中から透明な薄板が一枚出てくる。

指で触れると、表面に光が走った。

旅程情報。

出発日時。

航空経路。

滞在期間。

知らない空港名が幾つか並び、その最後に一つの地名が表示された。

《リュキア》

澪は文字を見たまま動かなかった。

最初に浮かんだのは、三つの碑文だった。

西へずれた遺構の軸。

地下水脈。

投影の中で土をつけていた玲。

けれど、それらより先に、もっと簡単なことが身体の奥から上がってきた。

「ママのところ?」

澪が尋ねる。

「そうだ」

奏人は答えた。

「夏休みに入ったら、玲のところへ行く」

澪はもう一度、旅程を見る。

出発は夏休み最初の週。

滞在期間は一週間ほど。

奏人と二人で日本を出て、現地で玲と合流する予定になっている。

「ママ、知ってるの?」

「最初から玲と計画してた」

「いつから?」

「セフィリアの話が出るより前だ」

奏人は澪の顔を見た。

「遺構で何か分かったから、急に連れていくことにしたわけじゃない」

澪は旅程から顔を上げる。

「じゃあ、何で黙ってたの?」

「驚かせようと思った」

「パパが?」

「玲が言い出した」

「パパも止めなかった」

「反対する理由がなかった」

澪は奏人を見つめた。

奏人は少しだけ目を逸らした。

「途中で何度か気づかれそうになったが」

「だいぶ気づいてた」

「行き先までは分からなかっただろ」

「分からなかったけど」

澪は旅程を閉じかけ、また開いた。

《リュキア》

そこには玲がいる。

通信の中ではなく、同じ空気の中に。

「本当に会えるの?」

「会える」

「調査が忙しくても?」

「少なくとも、俺たちが着く日は玲が戻る」

「そのあとは?」

「調査の状況による。でも、できるだけ一緒にいる予定だ」

できるだけ。

いつもなら、少し曖昧に感じる言葉だった。

けれど今日は、その先に出発日時がある。

飛行経路がある。

玲が待つ空港がある。

いつかではなく、日付が決まっている。

澪は旅程を指で押さえた。

「絵」

「うん?」

「持っていっていい?」

奏人はすぐに答えなかった。

澪は不安になり、言葉を足す。

「大きいけど、壊れないようにするから」

奏人は席を立った。

リビングを出て、物置の方へ向かう。

戻ってきた手には、澪が見つけた輸送ケースがあった。

ケースをテーブルの横へ置く。

「そのために用意した」

澪はケースを見る。

玄関で見つけたときよりも、はっきり作品の形に見えた。

「仕事用じゃなかったの?」

「運ぶまでは用途未定だった」

「それ、隠してたってことじゃん」

「分類を保留していた」

澪は眉を寄せた。

「そういう使い方するの?」

「便利な言葉だな」

奏人の口元が少しだけ緩んだ。

澪も笑いそうになったが、すぐにケースへ目を戻した。

「ママも、絵を持っていくって知ってる?」

「ああ」

「見たいって言ってた?」

奏人は澪を見る。

「玲がケースを用意してほしいと言った」

澪は何も言わなかった。

胸の奥で、昨夜まで沈んでいたものが、少しずつ浮かび上がってくる。

玲は画像ではなく、実物を見ようとしている。

澪の隣で。

同じ光の下で。

「今日、入れてみるか?」

奏人が尋ねる。

澪は、自室の机の横にある作品を思い浮かべた。

昨夜、部屋へ戻したあと、もう一度壁の方へ向けてある。

「……朝ごはんのあとで」

「出発直前だと慌ただしいぞ」

「分かってる」

「傷がないか、もう一度確認した方がいい」

「ママと開く」

奏人の手が止まった。

「ここでは一度も?」

「うん」

澪はケースへ指を置いた。

「閉じたまま入れる」

「それでいいのか?」

「いい」

奏人はしばらく考えてから頷いた。

「分かった。固定具は俺が確認する」

澪は旅程をもう一度見る。

「遺構にも行くの?」

「まだ決めてない」

「ママのいるところは、遺構の近くだよね」

「宿舎は近い。ただ、調査区域へ入れるかは現地の状況次第だ」

「三つの碑文のところも?」

「澪」

奏人の声が少しだけ低くなった。

「今回の旅行は、遺構を調べるためじゃない」

澪は奏人を見る。

「分かってる」

「本当に?」

「ママに会うためでしょ」

「ああ」

奏人は頷いた。

「それが最初だ」

最初。

その言葉が、澪には少しうれしかった。

セフィリアを見たからではない。

三歳の自分が不思議な名前を口にしたからでもない。

三つの碑文が見つかったからでもない。

それらが何もなくても、パパとママは、自分を玲のところへ連れていくつもりだった。

スープの表面から湯気が細く上がっている。

開いた窓から風が入り、旅程の表示をわずかに揺らした。

「ママ、今起きてる?」

澪が尋ねる。

奏人は時計を見る。

「向こうはまだ夜中だ」

「……そっか」

「昨夜も遅かったからな」

「じゃあ、起きたら通信していい?」

「玲の方から掛けてくる予定だ」

「何時?」

「向こうの朝八時。こっちの午後二時」

澪は少し考える。

あと数時間。

昨日までなら長く感じたかもしれない。

でも今日は、待つ時間の先に、決まった日付がある。

澪は残っていたパンを千切った。

さっきより柔らかく感じた。

*

朝食のあと、澪は自室へ上がった。

机の横では、作品の白い裏側がこちらを向いている。

窓から入った朝の光が、保護紙へ細い帯を作っていた。

澪は作品の前へ座る。

「ママのところへ行くよ」

声にしてから、自分でも少しおかしいと思った。

絵に話しかけたわけではない。

それでも、誰かへ伝えておきたかった。

作品を表へ向けることはしなかった。

代わりに、保護紙の端へ両手を添えて持ち上げる。

腕の筋肉痛は、ほとんど消えていた。

階段をゆっくり下りる。

奏人はリビングの床へ輸送ケースを開いていた。

内部には柔らかい固定材があり、作品の角を守るための部品が並んでいる。

「今入れるのか?」

「うん」

澪は閉じた作品をケースの上へ置いた。

奏人が大きさを確認する。

左右に少しだけ余裕がある。

「ちょうどいいな」

「パパ、最初から測ったでしょ」

「展示会の資料に寸法が載っていた」

「やっぱり」

奏人は固定具を調整した。

澪も反対側を押さえる。

二人で作品をケースの中へ収める。

留め具が一つずつ閉じられるたび、乾いた小さな音がした。

最後の留め具を閉じる前に、奏人が尋ねる。

「本当に開かなくていいか?」

澪はケースの中の保護紙を見る。

その向こうに、何度も塗り重ねた青がある。

画像には映らなかった厚み。

玲がまだ見ていない時間。

「うん」

澪は答えた。

「開く場所は決めたから」

奏人は最後の留め具を閉じた。

ケースの表示が点灯し、内部の温度と固定状態を確認する。

《輸送準備完了》

平らな文字が浮かんだ。

けれど、その中にあるものは平らではない。

「重い?」

澪が尋ねる。

奏人は持ち手を少し上げた。

「運べる」

「私も持つ」

「空港までは俺が持つ」

「途中で代わる」

「腕が痛くなるぞ」

「もう治った」

澪は反対側の持ち手を握った。

二人で少しだけ持ち上げる。

作品の重さ。

ケースの重さ。

その絵を描いてから今日までの時間。

全部が一緒に持ち上がった気がした。

窓から入った光が、黒いケースの表面へ細く反射する。

そこには絵は映らなかった。

ただ、並んで持つ澪と奏人の手だけが、少し歪んで映っていた。

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