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TEMPLE CODE CHRONICLE 覚醒編 22|同じ場所で

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同じ場所で

金曜日の夜、玲との通信は予定より二分早くつながった。

日本では午後八時前。

リュキアでは、まだ午後二時前だった。

投影の向こうに現れた玲は、いつもの調査用テントではなく、宿舎の小さな共用室にいた。

白い作業着ではなく、薄い青色のシャツを着ている。髪も下ろしていた。

背景の窓からは、乾いた光と、遠くの斜面が見えた。

「今日は大丈夫」

玲は接続するとすぐに言った。

「午後の調査、外してもらったから」

奏人が玲の後ろを確認する。

「誰も呼びに来ない?」

「端末も止めた」

玲は手元の端末を持ち上げた。

画面には、緊急連絡以外を保留する表示が出ている。

「これで一時間は、ここから動かない」

通信の前に自室から下ろしてきた作品は、表をこちらへ向けてソファの横に立てかけてある。

保護紙はまだ閉じたままだった。

玄関に置かれた輸送ケースを見つけてから三日が経っている。

奏人は相変わらず何も説明しなかった。

ただ、ケースはいつの間にか玄関から物置へ移されていた。

「絵、そこにある?」

玲が尋ねる。

「うん」

「見せてもらっていい?」

玲の声は急いでいなかった。

今日は本当に待つつもりなのだと分かった。

澪は作品の前へ移動し、床へ膝をついた。

最初の留め具へ指を掛ける。

金具が小さく鳴った。

玲は画面の向こうで、黙って見ている。

奏人もテーブルから少し離れ、澪の手元が映る位置を確認した。

留め具を一つ外す。

次に、二つ目へ手を伸ばした。

そこで指が止まった。

「どうしたの?」

玲が尋ねる。

澪は答えず、保護紙の表面を見る。

通信画面の中では、玲の部屋に強い昼の光が差している。

日本のリビングには、天井照明の柔らかな光がある。

今、絵を開けば、玲も見ることはできる。

カメラを近づければ、絵具の盛り上がりも以前より詳しく映せるかもしれない。

奏人なら、投影角度を調整してくれる。

それでも、学校の美術室で見えた光とは違う。

玲のいる部屋の光とも違う。

澪は外した留め具を、もう一度閉じた。

「澪?」

玲の声が少し不安になる。

「見せたくなくなった?」

「違う」

澪はすぐに答えた。

「じゃあ、疲れた?」

「そうじゃない」

玲はしばらく待った。

催促しなかった。

澪は作品から手を離し、ソファへ座る。

「ママ、画像は見たよね」

「うん」

「色も、形も」

「見た」

「今開いたら、もっと近くで見えると思う」

「そうね」

「でも、それでも同じじゃない気がする」

玲の表情が静かになった。

「何と?」

澪は答えを探した。

実物と画像。

日本とリュキア。

投影された玲と、実際の玲。

どれも言葉にすると少し違う。

「ママがこっちにいるのと」

ようやく、それだけ言った。

玲は何も言わなかった。

澪は自分の膝へ視線を落とす。

「ちゃんと見てほしいって言ったけど、近くで映してほしいってことじゃなかったみたい」

奏人は口を挟まなかった。

玲の後ろで、白いカーテンが風に揺れた。

遠くの地中海から入った光が、玲の肩を一瞬だけ明るくした。

「澪」

「なに?」

「ごめんね」

「ママが悪いって言ってない」

「うん」

玲は頷いた。

「でも、分かってなかった」

澪は顔を上げる。

玲は画面越しに作品を見るのではなく、澪の顔を見ていた。

「私は、時間を空ければいいと思ってた」

玲はゆっくり言った。

「呼ばれない場所で、画面を大きくして、ちゃんと見る。それで澪が待っていたことに応えられると思ってた」

「私も、昨日まではそう思ってた」

「でも違ったのね」

澪は小さく頷いた。

「たぶん」

玲は椅子の背へ身体を預けた。

「じゃあ、今日は開かなくていい」

「いいの?」

「澪が開きたいときに開いて」

玲は少しだけ笑った。

「できれば、私が隣にいるときに」

澪は息を止めた。

奏人が玲を見る。

二人の視線が、ほんの一瞬だけ重なった。

澪はそれに気づかなかった。

「隣にいるとき?」

澪が聞き返す。

玲は何かを言いかけたが、奏人が小さく首を振った。

「いつか帰ったときに」

玲は言い直した。

その言葉に、澪の胸の奥で少しだけ何かが沈んだ。

いつか。

玲との会話では、それもよく使われる言葉だった。

「うん」

澪は短く答えた。

玲は表情を変えなかったが、その返事が軽くなかったことには気づいたようだった。

「作品は、傷まないようにしておいてね」

「ケースに入れた方がいい?」

澪が尋ねると、奏人の手がわずかに動いた。

玲も一拍遅れて答える。

「そうね。大きいから、運ぶなら専用のケースがあった方がいいかも」

「家にあるよ」

澪が言った。

奏人が咳払いをした。

玲は口元を手で隠す。

「そうなの?」

「玄関に置いてあった。今は物置にある」

「パパの仕事用らしいけど」

澪は奏人を見る。

奏人は平然としていた。

「平面物の輸送ケースは用途が広い」

「ママも絵に使えるって言った」

「使えることと、使うことは別だ」

「変なの」

澪は眉を寄せる。

玲は笑いをこらえるように目を伏せた。

「何?」

「何でもない」

「二人とも変」

玲はついに笑った。

奏人も諦めたように息を吐く。

けれど、旅行についてはまだ誰も口にしなかった。

*

その後の通信では、絵の話をしなかった。

玲は宿舎の食事が少し塩辛かったことを話し、澪は結菜が調査会の記録へ鍋の絵ばかり描くことを話した。

奏人は途中で飲み物を用意し、日本とリュキア、離れた場所で三人は同じハーブ茶を飲んだ。

玲の分は、日本から持っていった茶葉だった。

「香り、まだ残ってる?」

澪が尋ねる。

「少し薄くなったけど、分かる」

「何の匂いが最初にする?」

「今日はレモンバームかな」

「私も」

玲が嬉しそうに笑う。

「同じね」

澪も少し笑った。

同じ茶葉。

違う水。

違う光。

それでも、同じだと思えるものもある。

通信の終わり際、玲はもう一度、閉じた作品を見た。

「絵、待っててくれる?」

澪は作品へ目を向ける。

「絵が?」

「澪も」

玲は言った。

澪はすぐには返事をしなかった。

「うん」

今度の返事は、少しだけ軽かった。

通信が終了し、玲の姿が消える。

リビングには、奏人と澪と、閉じた作品が残った。

澪は保護紙へ近づき、先ほど触れた留め具を確認した。

きちんと閉じている。

「パパ」

「何だ」

「ママ、何か変じゃなかった?」

奏人は飲み終えたカップを片づけながら答える。

「いつもどおりだろ」

「途中で笑ってた」

「玲はよく笑う」

「ケースの話をしたとき」

「気のせいだ」

奏人は台所へ向かう。

澪はその背中を見る。

「やっぱり隠してる」

「何も」

「さっきママに首振った」

奏人の足が止まった。

ほんの一瞬だった。

けれど、澪は見逃さなかった。

「何のことだ」

奏人は振り返らずに答える。

「見てたよ」

「通信表示の調整だ」

「首で?」

「手が塞がっていた」

「何も持ってなかった」

奏人は黙った。

澪は追いかけず、作品を持ち上げた。

「部屋に戻す」

「手伝おうか?」

「大丈夫」

階段へ向かう途中、澪は一度振り返る。

奏人は台所に立ったまま、壁の時計を見ていた。

その表情は、何かの時刻を待っているようだった。

*

澪が自室へ戻ったあと、奏人は投影装置を再起動した。

個人回線。

玲はすぐに応答した。

「危なかった」

玲が声を抑えて笑う。

「ケースを見つけられていたとはな」

「隠す場所が雑なのよ」

「届いたばかりだった」

「物置に移したなら、余計に怪しいでしょう」

奏人は反論しなかった。

玲の笑みが少しずつ消える。

「澪、本当に一緒の場所で見たかったのね」

「ああ」

「私、通信でも十分だと思ってた」

「玲だけじゃない。俺も今日まで、絵を見せることと、同じ場所で見ることを分けて考えてなかった」

玲は画面の外、窓の方を見る。

現地の光は、さっきより少しだけ角度を変えている。

「あと一週間」

玲が言う。

「予定は変わらない?」

「変わらない」

「遺構の状況は?」

「澪を連れていけない状態なら、私が街まで戻る」

玲は迷いなく答えた。

「旅行は調査のためじゃないもの」

「分かってる」

「絵を、ここまで運んでもらっていい?」

「そのためのケースだ」

玲は小さく息を吐いた。

「早く見たい」

「今日、見ようと思えば見られた」

「そうじゃなくて」

玲は言いかけて止まる。

奏人は何も言わなかった。

「澪の隣で見たい」

玲は静かに言った。

奏人は頷く。

「あと一週間だ」

通信の向こうで、玲の窓に地中海の光が差した。

その光は日本のリビングへ届かなかった。

ただ、投影が消えたあとも、テーブルの上には、光があったような淡い明るさだけがしばらく残っていた。

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