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TEMPLE CODE CHRONICLE 覚醒編 30|青の重なり

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目次

青の重なり

目を開けると、知らない天井があった。

澪はしばらく、その白さを見ていた。

窓の方から入ってくる光が、日本の部屋とは違う場所に落ちている。

廊下で、器の触れる音がした。

「そっち、熱いぞ」

「分かってる」

玲の声だった。

そのあとで、奏人が小さく笑った。

澪は顔を横へ向ける。

寝室の扉は、昨夜開けた幅のままになっていた。

細い隙間の向こうが、もう明るい。

昨日、ここへ来た。

そう思い出してから、身体を起こした。

枕元の香り袋を鞄へ戻し、窓へ近づく。

低い建物の屋根の向こうに、海があった。

昨日は光の線に見えた場所が、今朝は青く広がっている。

澪は窓枠に手を置いた。

まだ、少し眠い。

けれど、昨日のように足が重くはなかった。

*

「おはよう」

食卓へ行くと、玲が顔を上げた。

「眠れた?」

「うん」

「途中で起きなかった?」

「起きてない」

奏人がパンの皿を食卓へ置いた。

「今日は二問で止まったな」

「朝だからね」

「昼には増えるのか」

玲は答えず、澪の前に器を置いた。

ヨーグルトと、切った果物。

パンは昨日より薄く切られ、端に焼き色がついていた。

澪は椅子へ座る。

三人分の朝食がある。

昨日は、器の数を確かめた。

今朝は先に、パンへ手が伸びた。

「海、行ってみようか」

食事が終わる頃、玲が言った。

「暑くなる前に」

澪は頷きかけて、壁際を見た。

黒い輸送ケースが、昨日置いた場所にある。

「その前に」

玲が待つ。

「絵、見てもらっていい?」

玲は少しだけ目を大きくして、それから笑った。

「もちろん」

*

食卓を片づけ、乾いた布で拭く。

奏人がケースの片側を持った。

澪も反対側へ回る。

日本の家で持ち上げたときと、同じ持ち手だった。

けれど、今度は運ぶ距離が短い。

食卓へ静かに下ろすと、奏人が表示を確認した。

「問題なし」

澪は留め具へ手をかけた。

一つ。

もう一つ。

開く音が、思っていたより大きく聞こえた。

玲は向かい側に立っていた。

何も言わずに、澪の手元を見ている。

蓋を開ける。

保護材を外す。

青が見えた。

澪は息をついた。

傷も、変わったところも見当たらない。

それでも、同じ絵なのかと思った。

日本の家で見たときより、明るい。

窓の近くにあった薄いカーテンを、奏人が少し引いた。直接の日差しが避けられ、柔らかい光が食卓へ広がる。

澪と奏人は絵を取り出し、玲から見やすい向きに整えた。

玲は少し近づいた。

それから、半歩下がった。

澪はその顔を見る。

玲はまだ絵を見ている。

「……どう?」

聞いてから、少し早かったかもしれないと思った。

「うん」

玲は頷いた。

「ちょっと、待ってね」

澪も頷く。

待った。

台所の方で、小さく何かが作動する音がした。

外からは、人の声が遠く聞こえる。

玲は絵の端へ視線を動かし、もう一度、中央へ戻した。

「ここ、こんなふうになってたのね」

触れないところで、指を止める。

青の上に、別の青が薄く重なった場所だった。

「通信だと、もう少し平らに見えてた」

「うん」

「近くで見ると、下の色が残ってる」

澪は玲の隣へ移った。

「そこ、一回塗ってから、また変えたの」

「全部は隠さなかったんだ」

「隠したら、違ったから」

玲が澪を見る。

澪は絵を見たまま、少し考えた。

「上の色だけだと、きれいなんだけど……それだけになった」

うまく言えた気はしなかった。

けれど玲は、もう一度その場所を見た。

「そっか」

急いで分かったことにしない声だった。

それが、澪には嬉しかった。

奏人は二人の少し後ろで、空になった保護材を揃えている。

玲はしばらく見てから言った。

「好きだな、この青」

澪は顔を上げた。

「ほんと?」

「うん。持ってきてくれて、ありがとう」

澪は小さく頷いた。

日本で包んだときも、空港で預けたときも、開けて確かめたくなったときも、ずっと絵のことを気にしていた。

今は、玲が見ている。

そこまで来たのだと思った。

*

玲が窓の方へ目を向けた。

「今日は、よく晴れたね」

その視線を追って、澪も海を見る。

遠くの青。

手前の絵の青。

似ているかと聞かれたら、違うと思う。

海の方が明るい場所もあるし、絵の方が深く見える場所もある。

それでも、片方を見たあとにもう片方を見ると、さっきは気づかなかった色が見えた。

澪は少しだけ、立つ場所を変えた。

絵の表面にあった光が、薄く動く。

「どうした?」

奏人が聞いた。

「ここで見ると、違うね」

「光が違うからな」

「うん」

それもある。

でも、それだけかどうかは分からなかった。

玲は澪の横で、同じように絵と窓を見た。

「海の方も、近くで見てみようか」

今度は、澪もすぐに頷いた。

絵はいったんケースへ戻し、蓋を閉じた。

飾る場所は、帰ってから三人で考えることにした。

*

外へ出ると、石の道にはもう暖かさがあった。

建物の影に入ると、空気が少し冷たい。

坂を下る途中、玲が細い道へ曲がった。

「こっち」

壁際に置かれた鉢から、細い葉が通路へ伸びている。

扉の開いた店。

どこかで焼いているパンの匂い。

その間に、海の気配が少しずつ濃くなった。

澪は玲の隣を歩いたり、少し遅れたりした。

奏人は後ろからついてくる。

坂を下りきると、建物の間が開けた。

海が見えた。

澪は足を止めた。

宿の窓から見えた青より、ずっと広かった。

岸の近くでは、底の石が透けている。

水が動くたびに、明るい筋が石の上を滑った。

その先は緑を含んだ青。

さらに遠くでは、濃い青が低い空へ続いている。

一つの色だと思って見ていたものが、近づくといくつにも分かれていた。

「昨日、来たかった?」

玲が聞いた。

澪は少し考えた。

「昨日だったら、眠かったと思う」

「そうね」

「今日でよかった」

玲も海を見た。

「私も」

海沿いの道を、ゆっくり歩いた。

風が吹くと、澪の髪が頬へかかった。

耳へかけながら、水の色を見る。

同じ場所なのに、少し前とは違っていた。

雲の影が遠くを通っている。

波の向きが変わる。

青を見ているつもりで、光が動くのを見ていた。

*

澪は端末を取り出した。

海へ向ける。

画面の中にも、青が広がった。

一枚撮ってから、実物を見る。

もう一度、画面を見る。

「違う?」

奏人が横から聞いた。

「少し」

「全部は入らないか」

澪は頷いた。

波の音も、風も、入っていない。

それでも、見せたかった。

ネクサスのメイトの共有トークを開く。

《リュキアの海。今、来てる》

写真を添えて送った。

日本の時刻を確かめると、もう午後になっていた。

端末を下ろしかけたところで、返信が来る。

陽斗だった。

《青っ! これ本当にこの色?》

澪は笑った。

《本当。でも本物はもう少し違う》

送ってから、自分でも分かりにくいと思った。

《じゃあ、あと三枚》

「三枚だって」

思わず声に出た。

「何が?」

玲が聞く。

「海の写真」

「ネクサスのお友達?」

「うん。昨日話した、陽斗くん」

玲が笑った。

「早いわね」

画面には、莉央からの返信も増えていた。

《手前の透けてるところも見たい!》

澪は岸に近い水へ端末を向けた。

底の石に光が揺れている。

今度は少し待ってから撮った。

颯真と律の名前が並び、汐音からもリアクションがつく。

その中に、榊原 詠の反応まであった。

澪は口元を緩めた。

同じ景色の前にはいない。

けれど、一枚の写真をそれぞれが見ていると思うと、ここで立ち止まっている時間が少し賑やかになった。

「もう一枚?」

奏人が聞いた。

「うん」

澪は海から端末を戻し、二人へ向けた。

「パパとママも」

玲が自分の髪へ触れた。

「急ね」

「そのままでいいよ」

奏人が玲の隣へ寄る。

玲は何か言いかけて、やめた。

二人の後ろで、海が光っていた。

澪は一枚撮った。

今度はすぐに送らず、画面を少し長く見た。

*

結菜には、海の写真と一緒に短く送った。

《海まで来た》

返信を待つ間に、もう一つ入力する。

《匂いは、塩と、あったかい石》

少しして、結菜から返ってきた。

《昨日より分かる》

澪は笑った。

《パンの匂いもした》

《それは近くのお店では》

《たぶん》

風が来た。

今度は潮の匂いが強かった。

澪は端末を片手に持ったまま、海の方を向く。

《絵も見せたよ》

そう送ると、返事まで少し間があった。

《どうだった?》

《好きだって》

送った文字を、自分でも読んだ。

さっき玲に言われたときとは、また少し違う嬉しさがあった。

《よかったね》

澪は頷いた。

結菜からは見えないのに、頷いていた。

*

端末をしまうと、玲と奏人は少し先の日陰で待っていた。

玲が海を指し、奏人がそちらを見ている。

澪は二人のところへ歩いた。

「送れた?」

「うん」

「結菜ちゃんにも?」

「匂い、昨日より分かるって」

玲が笑った。

「写真で?」

「言葉で」

「ああ、そっちね」

三人で、また歩き始めた。

海沿いの道は、先で緩く曲がっている。

曲がった向こうには、まだ見ていない水の色があった。

澪はそちらを見てから、一度だけ振り返った。

さっき写真を撮った場所に、同じ青はもうなかった。

けれど、消えてしまった感じはしなかった。

朝、玲と並んで見た絵の青。

端末に残った海の青。

今、目の前で動いている青。

澪は日陰を出た。

少し先で、玲が足を緩める。

追いつくと、三人の歩く速さが揃った。

「帰ったら、絵をもう一回見たい」

澪が言った。

「いいね」

玲が答えた。

海から来た風が、三人の間を通り抜けた。

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